手招き五十音

シンクロを愛で、すべてをことほぐ

木、ありのままそこにいる

ある日
遠目には一本の大きな木、近づいてみると二本、あらもう一本
三本でちょうどよい形を成していた木たち
(諺「三本の矢」みたい)

#Recall- beautiful sunrise
[recalled] picture from Flickr, Thank you

ある日
可愛く整列、まるでどんぐりの背比べ

ある日
寄り添う二本
手を繋いでる?

ある日
不思議で豊かなエネルギー
「むかしむかし、そのむかし
日の光と雨の滴、時の養いを受けて
花のつぼみがたくさん生まれ
ゆっくりゆっくり
まぁるくふくらんでゆきました
つぼみ一つ一つから
瑞々しい命 清々しい命
数えきれない光る命が生まれ出て
・・・」

ある日
公園の端
モミの木と向き合い、幹に触れている後ろ姿
静かな空気
わたしもそうすることがある
背中を預けてみたりもするよ

私が最近思うのは、人間の意識というものは、もちろん動物に通じる側面をもつのみならず、植物の意識などということも考えていいのではないかということである。生きているのだけど、考えるとか感じるということではなく、ただそこにいるという意識。このことは「植物人間」などという表現があって非常に否定的に用いられるが、私としてはむしろ肯定的に、人間は植物の意識をもって、そこにいるという訓練が必要ではないかと思っている。
河合隼雄『おはなしの知恵』「創世物語と両性具有」より

そこにいる
葉が落ちたり茂ったりしながらも、そこにいる

わたしたちひとりひとりのなかに、想像もできないほどの徳が隠されている。見返りをもとめることなくあたえるという徳、判断することなく耳をかたむけるという徳、無条件に愛するという徳が。
エリザベス・キューブラー・ロス『人生は廻る輪のように』(上野圭一 訳)より

いてくれる安心感、無言の優しさ、生命力
人生を連想したり擬人化したり
木の存在感は人の在り方にも似て

自分の周りの人が完全な状態でそこに「在る」ということ。
元気な人も一見病気をしている人も、この新しくて古い観点から見れば、そのままですでに完全無欠である。
何一つ「神」の恩寵から外れたものはないと思う。
枯れた植物、腐った食べ物でさえもその瞬間はありのまま、そのままで完全なのである。
丸山修寛『魔法みたいな奇跡の言葉カタカムナ』より

いま甲辰年
「甲」は樹木を、「辰」は春から初夏へ季節が変わる土を象徴する