手招き五十音

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【book1】みんなで地球の生活報告【つげ義春日記】

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『つげ義春日記』(2020年講談社文芸文庫/底本は1983年)

1975〜1985(昭和50〜55)年にかけての日記

記事内の“ ”部分は本書から引用
[diary] pictures from Flickr ,Thank you

先に巻末の年譜から読んだ
1937(昭和12)年生まれ

先月読了『哀愁の町に霧が降るのだ』の椎名誠氏が1944(昭和19)年生まれ

世代をイメージする
わたしの祖父母たち>つげ義春氏>椎名誠氏>わたしの両親の順で年齢が降っていく

戦争体験の記述はあるだろうか

御子息が誕生する月から日記は始まる、当時つげさん38歳

中古カメラを買ったり売ったり
マンガを売ったり骨董を買ったり
副業としてセドリ業に憧れたり、考え直したり
いろんな心配、不調、お腹の調子
医学書や実用書をひととき心の支えにしたり、独学のたすけにしている(ヨガも)

家族含め人との行き来、交友交際
わたしが女性で主婦のせいか奥様に対する描写気になる

漫画家であり執筆者であり
息子であり弟であり兄であり
夫であり父であり
友人であり仕事仲間でありご近所さんであり
かつてすれ違った人であり…

読んでいると直接話を聞いている感覚に
 ・精神科へ提出する“宿題”のくだり(昭和55年4月20日)
 ・“病院で奨められた「森田療法のすすめ」”を分析しているくだり(昭和55年5月8日)
こんなふうに話してくれる人わたしの日常圏内にはいないし、そもそも会話では相手も話しきらないかも(だから本を読む、本で読む)

お母上の性格や言動
本来の気性はあるにしても、そうならざるを得なかった背景を考えてしまう
(子ども3人抱えて未亡人になり、戦中戦後)

戦争ー社会ー家庭ー個人
個人的な出来事や価値観混ざり合いながら
個人ー個人という影響の流れができ
それが親ー子なら
「子ども」はどうしたって受け身いっぽうの期間が最初にきてしまう

表紙の絵もメッセージ?という気持ちになってきた

みんな唯一無二の人だけど、体験は共有される

「あとがき」には

作家の私生活や境遇を知りたい

何故作家の生活に興味を持つかというと、私は人生経験も浅く、未熟で、生き方が下手で、いつも動揺しながら暗闇を手さぐりで進むように、辛うじて生きている。常に不安で、心細く頼りない。そんなとき他人の生き方を見るのは参考になり、慰められ、勇気づけられる

さらに

作家だけでなく隣り近所の人にも年譜や日記があればやはり読んでみたい

とある

あれから40年〜

出版物に加え
ブログ、レビュー、コメントなどなど
いろんな人のいろんな“生活報告”を目にすることが容易となった
(つげさん、何か好んで読んでいますか?)

“生活報告”
わたしは読んでいる

“隣りは何をする人ぞ”的関心と、
わたしの内で「言語化」を待っているあれやこれや…認識され表現されるのを待っている存在たちへ、ヒント・手がかり・栄養として

わたし達みんなが
すべてを自分でまかなう必要があるなら
誰一人生きていけないし
そもそも生まれもしないだろう

たくさんの人が
個人個人として生きながら
みんなで「人間」をしているのがこの地球、と思ったりする

分担して体験して
それぞれが表現して
支え合い分け合っている

情報もそう

こんな体験をした、とか
この感情は、とか
同じような人が他にもいる、とか

知るだけでホッとしたり力をもらう

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境遇も体験も背景も異なるひとの文章から

似てる、似てない
知らない、知ってる
えっ、ふーん、うーん
わかるー、わからないー

ゆらゆらゆらゆら…

『つげ義春日記』

わたしにとってはまだ若かった親や祖父母たちが生きた時代の生活報告でもあり
モノクロとカラーが混在するアルバムをめくるような本だった

 

奥様の日記(藤原マキ『私の絵日記』)もあるそうな
こちらも読んでみたい